地遊人

日常のことごと、出来事を、気ままに書き記していく。 62歳からの自己整理・自己満足策とボケ防止挑戦プログ。

下駄スケートのこと


 今年は暖冬になると天気予報士は言っていたが、このところ連日の零下の日が
続いている。庭の睡蓮鉢の水も凍ってしまい、鳥たちのために割っておかなきゃ
いけない日が多くなっている。
 さて、小さい頃の冬の遊びの一つは「スケート(スピード)」だった。
冬休みには夜近くの田んぼに水を張っておき、朝早くから皆集まって遊んだ。
もちろん皆下駄スケートで、足袋の上から紐で縛り付けて滑る。
この紐の縛り方が結構上手下手があって、下手に縛るとすぐ足が痛くなって滑る
ことを中止しなっきゃいけなくなる。
紐も結構重要で、大体の子供は確か真田紐(※)を使っていた。
小学校までは冬の体育の時間の何回かは、歩いて10分位のところにある「にごり
池」でスケートをやった記憶がある。
授業以外でもこの池にはスケート遊びに来て、皆で肝試しとかいって、
順番に薄氷の上を一周したりしたが、今考えると”危なかったなー”だ。
 ある年、東京から来た若い先生が靴スケート(フィギア)を履いていたので皆
珍しくて後をついて回ったものだ。後年、事故があって、池でのスケート授業は
禁止になり、校庭に氷を張りやるようになったという。

■スケートは日本には1861年に紹介されたが、 その以前から冬の遊び用具
として「竹ゾウリ」などが使われていた。 これが素地となり下駄スケートが考
案され、諏訪湖=長野県を中心に発達していった。 1906年に初めてスピー
ド競技が行われた。
真田紐とは、組み紐ではなく、主に木綿で織った幅の狭い縞模様のある平織り
(平打ち)または袋織りの平らな紐の総称とするのが妥当と思われます。また組
み紐と異なって伸びる事がなく丈夫なので、古くは刀の下げ緒・たすき・行商の
荷紐・男の帯・はてはランプの芯など日常的に広く使われました。
そして真田昌幸・幸村がついた西軍が関ヶ原の合戦に破れ、紀州九度山に蟄居
させられていたとき、農耕のかたわら内職で家臣にこの紐を組ませ、行商をさせ
て諸国の動静を探ったと云われています。
近年まで長野県の小県地方で体育の授業で使用された(下駄スケート)を足にく
くりつけるのにも使用されたので、団塊の世代あたりには記憶があるかもしれま
せん。(http://www.sanada.or.jp/contents/column/himo/sanadahimo.htmlより)